5月5日は「子どもの日」ですね!五節句の端午の節句にあたります。でも、こどもの日と端午の節句は別物なんですよ!端午の節句の起源は諸説ありますが、中国の領事館でも紹介された屈原に由来する話をご紹介し、ちまきや柏餅を食べる理由などもご説明します。
この記事を紹介する人

花菱のおやっさん(円城寺 雅由)
佐賀県唐津市で50年以上の老舗料亭「花菱」の店主
ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎 2019 特別版掲載店
日本テレビ系「ZIP」など多くのTV番組や日本料理専門誌、情報雑誌などで話題の「綿そぼろ(わたそぼろ)」を生みだす
無添加の高級すき焼き・牛丼具「花すき」は大手ネット通販すき焼き部門で売上1位獲得
地元唐津で活躍するシェフや陶芸家などとの勉強会を行い、日々美味を探求中
端午の節句とは?
国のために尽くした政治家「屈原(くつげん)」が端午の節句の始まり

起源は遡ること約2300年前の中国の戦国時代です。楚(そ)国の国王の側近に、屈原(くつげん)という政治家がいました。屈原は頭が良く、筋を通す剛直な人柄で人望もあったようです。しかし、他国(秦)の暗躍などにより、屈原は陰謀にはめられ国王から追放されます。
屈原が追放されていた間に、楚の国は他国の狙い通りに領地の一部を奪われてしまいます。再び、楚(そ)国の国王に助けを求められて国王の元に戻りますが、再度他国(秦)の暗躍にはめられ追放されました。追放された後、他国に楚の都を奪われたことを聞き、故国の将来に絶望して、泪羅(べきら)という川に入水自殺しました。
屈原は国民に愛された政治家だった!

屈原が入水自殺したとき、楚の国民達は小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどしました。さらにちまきを投げて、「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。この時の様子が次第に祭事となり、へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれ、現在のドラゴンレース(龍舟比賽)の始まりとも言われ、また端午の節句にちまきを食べる起源でもあるようです。
一部の地域から中国全土に広まり、旧暦5月5日は端午の節句に

その日が中国の年中行事になり、毎年命日の5月5日は屈原の供養のために祭りが行なわれるようになり、中国全体に広がりました。国と人民に尽くした屈原は、人々に惜しまれて多くのちまきを川に投げ入れ国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事となりました。三国志時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わりました。
端午(たんご)の節句が5月5日になった理由は?

旧暦では「端=初め」を表し、「端午=月初めの午(うま)の日」を指していたことが理由のようです。その後、「午(ご)」を「五(ご)」と読み替え、3月3日の桃の節句のように、月も日も「五(ご)」で揃えるようになり、5月5日が端午の節句になったようです。
つまり、1→3の順で定まりました。
- 端午の節句=月初めの午の日だった
- 「午」を「五」に読み替え、桃の節句のように月と日を同じ「五」に合わせた
- 端午の節句が5月5日に定まった
中国では5月5日は厄日だった!?

古来中国では陽数の重なった日を重んじていて、「五」が重なる五月五日は各種の祭礼を行うようになりました。これは、3月3日の「上巳(じょうし)の節句(ひな祭り)」と同じです。旧暦5月は高温多湿の夏の時期であり、伝染病や毒虫の害が多く、悪い月とされていました。菖蒲酒や雄黄酒(イオウを混ぜた酒)を飲み、よもぎで作った人形を飾ったりして無病息災を祈りました。艾(よもぎ)、菖蒲(しょうぶ)、雄黄(ゆうおう)などは、その香気や薬性によって邪気悪霊を払うことができると信じられました。子供たちには艾の葉や黒い桑の実を与えたり、雄黄酒で額に「王」の字を書いたり、朱砂を額や腹部に塗って魔除けとしたようです。そして、屈原の出来事からドラゴンレースやちまきを食べることが習慣として残りました。
日本の5月は女性が厄払いをしていて、そして中国の節句と融合した

田植え働きをする早乙女(さおとめ)と呼ばれる若い女性たちは、田植えを始めの5月に「五月忌み」といって田の神様のために仮小屋や神社などにこもり身のけがれを祓う習慣がありました。この日は田の神様に対する女性の厄祓いの日だったのです。
そして、中国の厄払いの風習が伝わり日本の厄払いと合わさり、飛鳥時代に日本でも端午の節句が生まれました。そのため、中国のように日本でも菖蒲が厄除けとして使われるようになり、軒に菖蒲を吊るしたり、菖蒲の葉を浮かべたお風呂(菖蒲湯)に入ったりするなど、現在の風習にも通じる習慣が定着していきました。
男の子を祝うようになったのは、武士の台頭によるものだった!

平安時代には、天皇などが出席し騎射(うまゆみ)と競馬が5、6日の2日間行われた後に宴が行われました。鎌倉時代には宮中より武家社会へ節句が伝わり、「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(武を尊ぶこと)」に通じることから引き続き菖蒲を使用しました。この頃は、石を投げあう石合戦や、菖蒲を刀に見立てて菖蒲刀で殴り合う勇壮な行事が多く行われました。
「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長することを願い、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。3月3日の上巳の節句(ひなまつり)が、女の子の節句に対して、5月5日の端午の節句は男の子の節句として定着していきました。
そして、菖蒲縵(しょうぶかずら)が変化して,近世の菖蒲冑(しょうぶかぶと)となりました。その冑の前に人形を立て,その人形が武者人形となって,5月5日に飾る五月人形とよばれるようになりました。
なぜ、端午の節句には冑(かぶと)や刀、鯉のぼりを飾るの?

江戸時代には、菖蒲が「尚武」「勝負」に通じ、菖蒲の葉が鋭い剣の形を連想させることから、男の子の健やかな成長と立身出世を願う行事となりました。兜などの武具を飾って、男の子の成長を祝う行事に変わっていきました。鯉のぼりを立てるようになったのは、中国の「鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける」という故事にあやかったものです。天に男児の誕生をお伝えして、子供を守ってほしいことを願う目印でもあり、男児の成長と立身出世を願うのが由来です。
5月5日のこどもの日は端午の節句と違う?
そもそも「こどもの日」って何を祝うものなの?

5月5日は端午の節句の日でもあり、こどもの日でもあります。そもそもこどもの日とは、どのようなものなのでしょうか?こどもの日は、昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」で、こどもの日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」と定められています。
こどもの日は、男女のこどもに健やかに育ってほしいという願う休日であり、母だけでなく父にも感謝する日ということを表しています。
なぜ、こどもの日は5月5になったのか?

桃の節句や端午の節句など五節句は、江戸時代には幕府の公式の祝日であり、明治5年まで続きました。
第二次世界大戦後に新しく祝日を制定する際に
- 国民の感情に深くつながった、文化的な日を祝日にすべき
- 祝祭日には草餅・ちまき・柏餅・そうめんなど、食べ物が加わると大変なごやかなものが生まれてくる
- やはり春から初夏にかけての時期を選びたい
との意見から5月5日に定まったようです。そのため、端午の節句とは厳密には主旨は違いますが、国全体で子どもを思う日であることは共通しています。
5月5日の端午の節句・こどもの日を歴史的な流れで整理してみよう!
中国での経緯
- 政治家である屈原が5月5日に入水自殺し、その死を惜しむ国民によりドラゴンレースやちまきを川にまくことがお祭りとなったことが起源。
- 端午の節句は、月初めの午の日から5月5日に定着
- 陽数の「五」が重なること、5月は伝染病や毒虫の害が多く悪い日とされたため、厄払いとして、艾(よもぎ)、菖蒲(しょうぶ)、雄黄(ゆうおう)などは、その香気や薬性によって邪気悪霊を払うことができると信じられ、無病息災を祈っていた。
- 中国での経緯
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- よりドラゴンレースやちまきを川にまくことがお祭りとなったことが起源。
- 端午の節句は、月初めの午の日から5月5日に定着
- 陽数の「五」が重なること、5月は伝染病や毒虫の害が多く悪い日とされたため、厄払いとして、艾(よもぎ)、菖蒲(しょうぶ)、雄黄(ゆうおう)などは、その香気や薬性によって邪気悪霊を払うことができると信じられ、無病息災を祈っていた。
- 日本での経緯
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- もともと5月は田植え働きをする若い女性たちが「五月忌み」という田の神様のために身のけがれを祓っていた。
- 飛鳥時代に中国の厄払いの風習が伝わり、端午の節句が生まれた。軒に菖蒲を吊るしたり、菖蒲の葉を浮かべたお風呂(菖蒲湯)に入ったりするなど、現在の習慣が定着した。
- 鎌倉時代には菖蒲を刀に見立てて殴り合う祭事が行われ、菖蒲兜などを飾るようになり、男児の成長と一族繁栄を願うようになる。
- 江戸時代には、刀や兜など武具を飾るようになりました。武士が、玄関に幟(のぼり)や旗指物(はたさしもの)を飾っていたことから派生して、中国の故事「鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける」にあやかり鯉のぼりを飾るようになりました。
- 戦後にこどもの日が決まり、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」と定められた。
5月5日は端午の節句であり、子どもの日でもあります。そのため、5月5日は下記のように厄払いとお祝いを行い、尊重と感謝の気持ちを持ちましょう。
結局、5月5日は何の日で何を祝ったら良いの?
端午の節句は何を祝うの?
こどもの日
端午の節句には何を食べてお祝いするの?
ちまき

あまり、東日本出身の方はしっくりこないかもしれませんが、西日本では端午の節句にはちまきを食べます。食べるようになったのは、前述している中国の政治家 屈原の死にさかのぼります。端午の節句で食べるちまきは米粉で作った餅を笹の葉で包んだものです。本来は神聖な茅(ちがや)の葉で巻くことから、ちまきと呼ばれています。時代の流れとともに様々な葉で代用されるようになり、ちまきは武士の携帯食でもあったことから、抗菌作用のある笹の葉などに変わっていったようです。
ちまきの中身が地域で違う?

ウェーザーニュースの調査で、地域によりちまきの中身が違うことがわかったそうです。東日本は「おこわ」で、いわゆる中華ちまきです。もち米と味付け肉や筍、椎茸の具材を笹の葉でくるんで蒸したもの。一方、鹿児島を除く西日本はお団子。笹の葉にもちもちの白くて甘い団子が包まれています。そして、鹿児島のみ「灰汁巻き(あくまき)」との結果。灰汁巻きは、もち米を木や竹を燃やした灰からとった灰汁(あく)に一晩つけ、竹の皮につめて、さらに灰汁で煮こんで、米粒が艶のあるべっこう色になったものです。きなこや黒糖、白砂糖など、好みのものをまぶしていただきます。知人から鹿児島のおばあちゃんのお手製灰汁巻きをいただきましたが、灰汁巻き自体は甘くなく、もちっとした触感に炭の香りが口の中に広がり、きなこの風味が絶妙に合うお菓子でした。
灰汁巻きは、灰汁に含まれるアルカリ性物質がもち米の繊維を柔らかくするとともに、雑菌の繁殖を抑えることで長期保存が可能な食糧です。まさに先人の知恵の集大成です。長期保存食であったことから、薩摩藩は戦の携帯食としていたことなどから、男子が強くたくましく育つようにという願いを込めて、端午の節句に食べられるようになったといわれています。
柏餅(かしわもち)

一方、東日本の人は柏餅が馴染深いかもしれません。カシワは、枯葉となっても木から落ち、新芽が育つまで冬の間も古い葉が落ちないことから、「子が生まれるまで親は生きる、子孫繁栄」につながるとされる縁起のいい植物とされ、江戸時代の中期頃から柏餅を食べるようになりました。
端午の節句のお祝い料理はどうする?
端午の節句に由来のある料理はちまきや柏餅などで、食事というよりは少しつまんだり、お菓子のイメージです。でも、せっかくのお祝いですので、少し食卓が華やかになる食事を準備したいですよね!そんなときにおすすめなのがちらし寿司です。
端午の節句のおすすめ料理はちらし寿司

ちらし寿司でのお祝いと言えばひな祭りですが、ちらし寿司は様々なお祝いで活躍する料理です。理由は。「簡単、時短、華やか、美味しい」と良いことばかりだからです。また、具材を自分好みにアレンジでき、お祝いの場合は具材に願いを込めたものを使うとより楽しむことができます。例えば、背中が丸くなるまで長生きできますようにとの「長寿」の願いをこめて「えび」使ったり、真っすぐ伸びて成長が早いことから「立身出世」の願いを込めて「たけのこ」を使うなど、より華やかで豪華に仕上げることができます。
そして、ひな祭りや端午の節句など和のお祝いごとに非常に合う料理ですので、本当におすすめです!
お取り寄せできるおすすめのちらし寿司があります!
唐津花菱「綿そぼろ寿司鯛(わたそぼろずし たい)」

ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎 2019 特別版掲載店の「唐津 花菱」が作る本格ちらし寿司の「綿そぼろ寿司」。TVや雑誌で話題の高級ふりかけ「綿そぼろ」をふんだんに使用し、驚くほどの「ふわふわ食感」のちらし寿司です。また、料亭だからこそ出汁を利かせた「すし酢」もこだわりです。料亭花菱の締めのご飯として好評だったのがこの「綿そぼろ寿司」です。
お客様を笑顔にしたい

料亭花菱の締めのご飯で好評だった「綿そぼろ寿司」をご自宅でも楽しめるように、15年前にちらし寿司の素として商品化しました。しかしながら、保存期間の課題があり販売を断念。お客様から「孫と作ったちらし寿司が美味しかったので残念」との一言が頭から離れず「お客様を笑顔にしたい」と試行錯誤を繰り返し再商品化しました。
写真:花菱店主 円城寺 雅由
唐津 花菱の「綿そぼろ寿司鯛」の特徴は?




他のちらし寿司と大きく違うのは、ふわふわ食感と鯛の旨味を引き出した「綿そぼろ」をふりかけること。鯛のうま味を最大限に引き出した綿のようなそぼろが、酢飯と具材をふんわり包み込み、優しい味わいが口の中に広がります。そして、錦糸卵がセットの商品はあまり通販ではありませんが、花菱ではお客様の手間を考え、錦糸卵もセットにしています。「彩り」と「まろやかな風味」の錦糸卵が全体を包み込みます。
さらに、甘味をおさえ、昆布だしで旨味を利かした花菱のすし酢で作る酢飯は逸品で、酢飯と混ぜ合わせ高野豆腐、椎茸、うす揚げは地味ですが、全体に調和するようにすべて個々に出汁から味付けしています。
綿そぼろ寿司はそぼろの種類が違う「鰆(さわら)」と「鯖(さば)」もあります。
唐津 花菱の「綿そぼろ寿司鯛」の口コミ・レビューは?

レビュー 4.92点 / 5満点中 【花菱HP参照】総レビュー数12件



ふわふわに感動!老舗料亭の絶品ちらし寿司
ふわふわ加減に驚き、そぼろの美味しさを堪能し、このちらし寿司との出会いに興奮!鰆の旨味をギュ~ッと凝縮しながら、職人さんが手間をかけて作ったそぼろはこんなにもやさしいお味なんですね。普段は魚が苦手な子供も「毎日ごはんにかけたい!」と気に入っています。
「具材」の高野豆腐はほんのり甘くて、噛むとジュワッといいお味が染み出ます。椎茸はそぼろを引き立てる品のよい控えめな味つけ。うす揚げはコクと旨味に貢献。色味はどれも地味ながら、全体の調和のためのベストメンバーのようです。
「具材」たっぷり、それ以上に「そぼろ」「錦糸卵」がたっぷりで嬉しい~!どの世代にもおすすめですが、特に「そぼろ」は高齢で元気でいてほしい方に贈りたくなります。真似のできない味わいと食感が喜ばれて、食がすすんでしまう逸品!
ベースにいいお出汁を使っているから、どれも濃くないお味なのに薄くもない。それぞれの素材の風味を活かしたまま、鰆や具材の旨味が上品に掛け合わされています。



ふわじゅわな口溶け!粋な上品ちらし寿司
具材は量も多くて、「こんなに入れるの⁉︎」と、家族もビックリ。
お味は、わあ……おいしい!!! そぼろと錦糸卵が、ほろほろと舌でふんわり溶けるようなおいしさです。噛むとお出汁の甘味と具材の旨味がじわりと口に広がります。具材の椎茸、高野豆腐、うす揚げは細かく刻んであるから、全体が一体になっているような統一感があり、上品なちょうどよさ! 特に、そぼろは人生で初めていただきまして、このしっとりふんわりした旨味は、なかなか体験できないと思います。これが伝統ある日本料理店さんのお味なんだなあと惚れ惚れ!
酢飯は子どもには酸っぱくないかな?と心配しましたが、おいしいばかりで、ちょうどよかったです。高齢の両親も5歳の子どもも、「このごはん、おいしいね!」と、みんなでパクパク食べました。具材が細かいので年代を問わず食べやすいようで、あっという間に完食しました。
綿そぼろ寿司の価格・内容量・賞味期限は?
※参考価格(2025年1月時点) | 価格(税込)3,200円(税込) |
内容量 | 大人5~6人分を想定した量です。 ・鯛(たい)そぼろ100g×1袋 ・すし酢60ml×1本 ・ちらし寿司具材(椎茸50g・高野豆腐50g・うす揚げ50g)×1袋 ・錦糸卵150g×1袋 ※「彩り野菜」[白米」は含まれておりませんので、お客様にてご準備ください。 |
原材料 | ◆鯛(たい)そぼろ たい(唐津市産)、醤油、清酒、砂糖、生姜、みりん(一部に大豆・小麦を含む) ◆すし酢 米酢(国内製造)、砂糖、塩、清酒、みりん、昆布 ◆ちらし寿司具材 椎茸(大分県産)、高野豆腐、うす揚げ、醤油、砂糖、清酒、みりん、えそ煮干し(一部に大豆・小麦を含む) ◆錦糸卵 鶏卵(国産)、植物油脂、砂糖、粉末大豆繊維、食塩、かつお節エキス/加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、カロチン色素、(一部に小麦・卵・大豆を含む) ※錦糸卵以外は全て無添加で旨味調味料などは使用しておりません。 |
調理方法 | 1.冷凍でのお届けのため、お召し上がりになる前に自然解凍、または冷蔵解凍してください。 2.炊いたご飯500g(2合炊いて茶碗2杯分余る量)、付属のすし酢をかけ、荒熱を取りながら混ぜます。 3.粗熱が取れたら付属の具材を混ぜ込み、皿に盛り付けます。 4.付属の綿そぼろをかけ、最後に付属の錦糸卵を乗せたら完成です。 |
賞味期限 | 冷凍保管で3か月、冷蔵保管で2週間 |
いざ、ご自身でちらし寿司を調理しようとすると、すし酢を作ったり、具を買ってきて刻んで味付けしたりと、意外と手間がかかるものです。そこで、どなたでも簡単で美味しく仕上がる日本料理花菱の「鰆(さわら)そぼろのちらし寿司」セットが大変おすすめです。日本料理花菱は佐賀県唐津市にある創業50年以上の日本料理店で、このちらし寿司は会席料理の締めのごはんものとしてお客様に召し上がっていただいているものです。すし酢や具材は出汁(だし)の旨味をきかせていますので、ほんのり甘く食材の旨味が広がります。また、花菱自慢の鰆そぼろはふわふわとした触感で、鰆の旨味を最大限に引き出す味付けにしています。お子様からご高齢の方まで笑顔になるようなちらし寿司にしています。詳しくは下記の画像をクリックしてご覧ください!